味噌と醤油 通販 のざわ > 村上市塩谷地区 と 野沢家

村上市塩谷地区 と 野沢家

村上市塩谷地区

村上市塩谷地区とは

村上市塩谷地区は、新潟県北部に位置し、荒川の河口北側にあります。
荒川は新潟県の清流として毎年紹介され、川に遡上する鮭の釣りや桜鱒の釣りで有名な一級河川です。
その昔は、上流に位置する関川村、山形県小国町等の地区との交通の要衝となっており、山から切り出される木材、米や酒などの搬出港としての役割もありました。
「塩谷」は、古文書では「塩屋」と書かれていたことや、「塩篭神社」など、塩にまつわる名前が残っていることから想像すると、塩作りが行われていたのかも、しれません。

 

村上市塩谷地区と野沢家の歴史

野沢甚左衛門家(当家)には古文書が数多く残っています。
平成に入り、筑波大学歴史地理学研究室の平野哲也さんのお力により、当家と奈良橋家に残る古文書から、塩谷地区の歴史や、特に江戸時代後期における湊町商人としての経営展開例として、当家の活動内容が明らかになりました。

町屋造り

江戸時代の前半から、塩谷地区(今の集落よりも内陸側にあった)には、村上藩の蔵屋敷が設置されていました。
この頃から、門前川〜村上城下の堀〜岩船潟〜堀川〜荒川〜胎内川〜塩津潟(紫雲寺潟)〜加治川〜島見前潟〜阿賀野川〜沼垂・新潟までの内陸水路が機能しており、その水運を利用した藩米の保管・輸送の要地としての役割が与えられていました。
当時すでに塩谷の庄屋をつとめていた当家が、その業務を司る立場にありました。

また、野沢家は「米沢屋」の屋号を持つ商人でした。18世紀中ごろには船宿を営み、入港する日本海廻船との商業活動も行い、米や干鰯などを上方商人と取引していた記録も残っております。

しかし、村上藩の領地が15万石から5万石へと、3分の1となる縮小(幕府直轄地、天領の拡大)などの背景があり、また、塩津潟(紫雲寺潟)の埋め立てなどで、内陸部の水路が廃止されたことなどから、米の流通量が減り、塩谷地区の収益も減少していきます。

そして、天領になった「海老江」地区が米などの配送業が盛んになり、「桃崎浜」地区は廻船業で大きくなるなど、周辺の地区が隆盛をみせ、塩谷地区が取り残されていく、まさにピンチの時代があったのです。

そんな中、北国廻船(北前船)により、松前、箱館や蝦夷地との交易に活路を見出していくのです。
塩谷からは、米の他、酒、味噌、醤油、酢などの加工品が運ばれ、松前、蝦夷地産物が豊富に移入されてきました。


酒造販売をしていた頃の看板

越後酒の移出増大という背景の中、当家は、天保七年(1836年)に「酒株」を購入し、借金で設備一式と原材料の買い入れを一気に行い、酒造りを始めています。そして翌年には出荷を始めていました。

製造した酒は、北前船により、箱館や蝦夷地へ運ばれ、高額で取引されたそうです。

記録には「養命酒」を製造販売していたことも書いてありました。


町屋造り

どんなお酒なのか具体的な記述はないのですが、他の文書などの背景から、村上藩内の価格競争や販売競争があり、次第に品質の特徴化、個性化に移っていき、品質の良さで勝負するようになったようです。

「養命酒」に使われていたと思われる米の仕入れ記録からは、荒川筋の「荒川米」と呼ばれた、良質で、味のもよいものであったようです。荒川米は高値で取引される良質米であったので、相当良いお酒ができたものと思われます。

幕末から明治初期になると、北前船との取引関係を維持しながら、自ら船主・廻船商人となって、主に自家製造の酒と越後米、庄内米を松前・北海道へ輸送・販売し、北海道産物を積帰り周辺地域に売り捌くという商業経営を始めています。

野沢家の北海道交易は、汽船の発達で北前船が衰えてもなお、酒造業と廻船業を軸に維持していきました。

その後、廻船業は羽越本線の開通を契機として大正期に廃され、酒造業も第二次大戦下の統制経済のもとで昭和19年(1944年)に廃業を余儀なくされました。
酒造業をやめるとすぐに味噌の製造に着手し、昭和27年頃からは醤油の製造を始め、それ以来、味噌・醤油の製造・販売を続けております。

醸造業としての歴史・技術を現代に受け継ぎ、また、湊町商人野沢家の経営の歴史的伝統も、今日の醸造業の中に脈々と受け継がれているのです。


醸造の町 塩谷

天保七年から酒の醸造を始めた訳ですが、それから第二次世界大戦の戦中まで、8軒の醸造元がありました。わずか330軒程の集落に8軒ですから、大変めずらしい地域でありました。

時は流れ、平成になってから廃業される醸造元もありましたが、現在でも、3軒の醸造元があります。


村上市塩谷地区 町屋の散策

町屋の散策

塩谷地区には、明治期に作られた「町屋造り」の家屋が今もなお存在し、その家での生活も続けられています。

野沢食品工業も、野沢家の町屋造りの本宅と蔵までが一体となった歴史ある建物です。
お近くにお越しの際は、是非塩谷地区にもお立ち寄りいただき、レトロな建物群で、まるでタイムスリップしたような空間を感じてみてください。

塩谷地区 散策マップ(PDF 2.87MB)をご覧いただけます。
塩谷地区 散策マップ


お買い物ガイド

お買い物ガイド